2020年09月19日

コロナ、その後

その後、コロナと生活について

4月は、自宅待機と水かけ祭りが重なって、お店も閉まるし、外も出れなくて、閉塞感があった。みんなスーパーに行って買いだめした。

5月半ばから帰国者のみの感染者数が毎日発表される日が続き、ヤンゴンが市中感染がなくなった。もう限界だと感じて、カンドージーに散歩に行き始めた。子供の誕生日も親戚と祝った(親戚は役所に確認をとってから、家にきた。どんだけ参加したいの笑)

6月半ば、ヤンゴンで市中感染が1カ月なくなり、もうそろそろいいかなということで、ミャンマープラザに行くようになった。少しずつ活気が戻ってきたころ。
お義母さんの知り合いも家に訪問にくるように。(2カ月半も控えてたのはすごいと思った)
僧院や講堂での行事も普通にしてた(本当はダメ)

このころから、マスクをして密は避けるけど、日常生活が少しもどったような感覚があった。
8月半ばには家族でパアンに旅行に行った。規制が15日までだったから、規制が明けたら写真をフェイスブックにあげようなんてのんきに考えてた。長く続くコロナでみんなリフレッシュが必要だった。きっと、このころは政府の規制はやりすぎだとみんな感じてたと思う。

8月16日にラカイン州で感染者がでる。
どうやら、施設隔離が嫌で、国境から密入国した感染者がいたみたいだ。
しかも、感染力の強いヨーロッパ型。
そこからヤンゴンに伝播し、ヤンゴンでは3カ月ぶりの市中感染。
9月半ばの現在はラカイン州は落ち着いてきたけど、ヤンゴンは感染の最盛期。いつピークを迎えるか分からない。ピークを迎えてるかもしれないけど分かるのは時間かかる。死者はずっと6人だったけど、今は50人を超えた。スーチーさんのヤンゴン自宅職員にも感染者がでた。11月の総選挙も延期を希望する声も。

ANAは4月半ばまでがんばって飛ばして、それ以降は、月に3回くらい帰国したいミャンマー人のために救援便を運航してた。帰りの便に帰国したい日本人が乗ってた。
でも、ミャンマーに入国できる日本人はODA関係者とかすごく限られてる。つまり帰ったらしばらく戻ってこれない。
それでも、帰れないのと帰らないのとではすごい違うので、救援便が飛んでいるのはうれしかった。今月は、こちらの検査数のキャパが足りず、キャンセルになった。
トゥワナスタジアムに緊急で隔離施設を建設している。

家の2本隣の通りで感染者がでたとフェイスブックにでてて、お義母さんが知り合いに確認したところ、病死者がいて、検査員が検査にきたということだった。結果は陰性。
それでも、住んでいる地域で感染者は累計20人くらいはいるから気を付けないといけない。

知ってる駐在員の奥さんたちは、3月末にみんな帰っちゃって、8月に日本人会の図書館で4カ月ぶりに日本人と話した。

9月9日からついに住んでいる地域も自宅待機になった。10月1日までになってるけど、きっと延長される。
いとこのお店も閉めた。義弟もパテインでの建設の仕事を休んで実家にいる。義弟といとこが子供のめんどうをみてくれるからうれしい。外に行けなくてつまらないけど、家族の絆は深まったなと感じる。
いつピークを迎えるのか、迎えてるかもしれないけど、いつかは減少傾向になるはずだから、辛抱しよう。

追加;その後、2週間のロックダウン措置になった。
  

Posted by たひち at 12:51Comments(0)家族

2018年06月05日

めいちゃん誕生

3週間ほど前に、出産しました。
名付けについて以前書きましたが、5月生まれでミャンマーにもある名前ということで「めい」にしました。

ただ、ミャンマー人の名前としては1つだけではさみしいので、義両親が占い師のところに行ってミャンマー向けの名付けの相談しました。
「めい」は生まれの曜日の音ではないので名前に組み入れるのが難しいらしく、何回か相談に行って決めました。

それから、ミャンマーとのつながりを感じたのは、病室の表札。
木曜の午前に生まれて、8曜日の牙のあるゾウにあたるのですが、病室のパネルが牙のあるゾウでした。
他の部屋は、キリン、ペンギン、リスなどだったのに、偶然としても不思議な縁です。

それから、産後はミャンマーではターメリックを飲むらしく、夫にすすめられて飲みました。
子宮復古の痛みを軽減させるとか・・・。



※ミャンマー関連の話はここまでで、これから↓は出産について書きます。


前々から不思議だったのは、出産は大変な出来事なのにみんなさらっと報告し、「こんなだったよ~」とか詳しい話を聞いたことがないことです。
でも、自分が体験して分かりました。なぜ出産について詳細を話さないか・・・

それは
①のどもと過ぎれば熱さ忘れる
②すぐ育児が始まって、話す暇がない
③なんか自慢ぽく聞こえる


というのも
①確かに痛い、でもあとになるとどんなだったか感覚的に思い出せない(笑)
②母子同室で授乳など慣れない育児がすぐに始まる。
 出産は終わりではなくて、始まりです・・・
③「すごい痛かった」とか自慢ぽいし、なんかみっともない


ただ、私はあえて言いたい。日本では出産は自然なものとされ、自然分娩が良しとされている。でも、これだけ大変なものを我慢せよというのかと。
フランスやアメリカでは7、8割を超える無痛分娩。向こうは大病院で麻酔科医もいて十分な体制があるからできることだというのも分かるけど、体験してみて今この現代で技術があるのになぜすすまないのかと思う。
帰省先では、経産婦の無痛分娩を受け入れる産院が1軒のみ。初産なのであきらめました。


恥も外聞もなく、語らせていただきます。
簡潔に言うと、私は微弱陣痛で4日苦しんだ挙句、分娩中止となって帝王切開になりました。

出産の流れとしては、子宮口が10センチになるまで陣痛を我慢して、そこからいきみます。
初産婦の平均として開くまで10時間、いきむのが2時間とされています。
体験談でも、早い人は5時間、長い人でも30時間ほどだったので、これほど長丁場になるとは誰も予想していませんでした。


5月12日 夕方 陣痛ぽいものがくる。アプリで間隔を測るも規則的にならず家で待機。
   13日 夕方 5分間隔になり、産院へ。このとき子宮口3センチ。
   14日 朝 微弱陣痛と伝えられ、促進剤を使うか聞かれるが、自然に待つことを選択。歩いたり、おっぱいや腰のマッサージ、足湯で促す。子宮口5センチ。規則的な本陣痛来ず。
   15日 促進剤を朝9時から使う。午後2時に破水。夕方4時の時点で子宮口6センチ。翌日に持ち越すか転院かと言われ日赤に転院。
       夕方6時から促進剤使う。夜10時に子宮口最大になるも胎児の頭位が逆。陣痛が弱くいきてんでも、鉗子が届くところまで降りてこない。内診で頭位を直そうとするも直らず、深夜12時に分娩中止。1時から帝王切開。2時に出産。4時に手術終了。

つらかったことは、終わりが見えなかったこと。
男性にも分かりやすく言うと満員電車でゲリピーでもれそうなのにいつまでたっても駅に着かないって感じでした。
駅員に聞いても「駅に着くのは明日かな」とか言う。そして数分ごとに襲ってくる便意(笑)
収まって余裕かなと思ったら数分後にまたくる。切迫感はそんな感じ。

陣痛が来ているときは、うめくとパニックになるので、必死に呼吸に集中して痛みに耐え、いきみ逃しをしていました。
朝から促進剤を使って夕方には産むぞと思って7時間我慢しても1センチしかすすんでおらず、人員が夜は少ないから翌日の朝からまたトライしましょうと言われたときは絶望しました。体力の消耗もそうですが、なによりも心が折れてしまいました。
促進剤をやめても自分自身の陣痛はきつづけるので、また夜通し寝ずに我慢するのはもう無理だと思い、その時点で転院を決意しました。
緊急搬送で救急車に初めて乗りました。隊員の人たちは親切で移動はスムーズでした。

あとは、本陣痛を起こすためにいろいろやったこと。痛くなるって分かっててやるのは怖かったです。
どこまで痛くなるのか分からないのも怖い。
このボタン押したら、骨が折れるけど押さなかったら死にますよって感じ。いきむときもそう。痛くなるのが分かってていきむのは怖い。
でも、ちゃんと本陣痛が来ていれば、いやがおうでもいきまざるをえないのだろうけど。

転院先で、「今日中に産ませます」と断言してもらって気持ちが楽になりました。
ただ、胎児の脈拍数低下か分娩中止にならないと帝王切開にならないと説明があって「もう保険適用なくても全額払うから切ってください。いくらですか」と聞いてしまった。
とにかく一旦休みたい気持ちだったけど、なんとか立て直してがんばりました・・・。

あとは、内診でぐりぐり頭位を直す時が勘弁してくれって感じだった。
男性にわかりやすく言うと直腸に手を突っ込まれて小腸をぐにぐにされる感じですよ(笑)
まぁ、あのときは獣の咆哮って感じで絶叫しましたけどね。もはや理性はないですよ。
出産は野生に戻らないとできないですわ。

帝王切開が決まった時は、今までの時間が無駄になったと思うより、やっと終わるという安堵でいっぱいでした。
腰椎麻酔は痛くなく、すぐに効いて陣痛が収まったので楽になりました。
まな板の鯉で、煮るなり焼くなりしてくれって感じでした。

子供は熱があったので、NICUに3日入りました。手術した日の夜に看護師さんが初乳を綿棒につけて、持って行ってくれたのはうれしかったです。動けるようになってからは、3時間おきに搾乳して少ないながらの初乳をNICUに届けました。

あのときは、体勢を変えるだけでも苦痛でベッドのへりをにぎりしめていたのに、過ぎてしまえばすっかり忘れてしまうので不思議です。
助けてくれた医師や看護師の皆さんには本当に感謝しています。入院期間中は別の世界に行っていたみたいに感じます。
入院中の心の支えは、退院後に大谷翔平選手の活躍とおっさんずラブ(ドラマ)を見ることでした(笑)

意外だったのは、お腹がぺっちゃんこになるとおもいきや、術後もまだ大きいままだったこと。3日ほどして子宮がおへその下まで来ましたが、完全にもどるまで1カ月ほどかかるようです。

現在、育児生活が始まりましてぼちぼちやっています。
おしまい。














  

Posted by たひち at 23:06Comments(0)家族

2018年04月22日

名付け

実は、現在里帰り出産するために帰省しております。

そろそろお産が近づいてきたので名前を決めないといけないのですが、思わぬ盲点がありました。

それは、名付けの本を読んでいたところミャンマー語の発音ではヤバイ意味になる名前があることです。

namae


たとえば、「リサ」や「チサ」

ミャンマー語では

「リサ」=「ちんこ食べる」
「チサ」=「うんこ食べる」
となってしまうのです!!

チとリで始まる名前は危険です。

また、「シュン」は「どろ」
    「アンナ」のアンは「吐く」
    「カンナ」のカンは「(被害を)受ける」
というような意味があります。

あとは発音上の問題では、「ヤヨイ」は舌がずっと浮いてる感じと言われました。
半母音なためとミャンマー語では、破擦が強いので「ジャジョイ」になるかもしれません。

上の本は、ミャンマー語にするとヤバイ意味と発音する上で変に感じる名前を挙げていると思いますが、私の名前も入ってるし、知り合いのミャンマー人ハーフの名前も入っているのでちょっと挙げすぎている気がします。
だって、日本人からしてもミャンマー人の名前の発音は違和感だらけなわけだし。外国人の名前は変な発音だろうと。
実際、上の本にはミャンマー人が発音しても変じゃない名前も含まれている模様です。


あとは、本には載ってないけど「ツ」の発音がミャンマー人は「ス」になるので避けたほうがいいと思います。
また「キョウコ」は発音はできるけど表記したときに「kyoko」が「チョウコ」と読まれる可能性があると思います。


ミャンマーでは、名前の申請は生後半年までいいし、高校卒業の時に正式に登録するため名前をそのときまで変えれるそうです。

あとは、「アオイ」。結構いい名前だと思うのですが、セクシー女優の蒼井そらが中国圏だけでなくミャンマーでも有名なためダメと言われましたww

「サクラ」もよく知られているしキャッチーかと思いましたが、病院や学校で多用されているためだんなさんから「ださい」と一言。

日本とミャンマーで両方から違和感がない名前は難しいので、ミャンマーの通称もつけて両方で呼ぼうかなと思っています。

おわり。  

Posted by たひち at 21:23Comments(0)家族

2016年07月07日

お義父さんの日本旅行



お義父さんは、日本に2回行った事があります。
お義父さんは、中国人とのハーフで、植物学の高校教師でした。今は、退職して塾の講師をしています。
外国に行ったことはおろか、飛行機にも乗ったことのなかったのですが、3年前の初めての日本は思いのほか楽しかったようで、今年の4月に2回目の訪問をしました。

日本に行ったときの印象

鎌倉は思ったより小さかった(日本で一番大きいと聞いて期待してくるのですが、ミャンマーにはあれくらいの規模の仏像はたくさんあります)

車が歩行者を待つ
(なんて文化的なんだと驚いていました。こちらでは、クラクションならしまくりで待つなんてことはしません)

果物がプラスチックみたい(ミャンマーのいちごはしなしな。私は日本のぷるぷるのジューシーないちごを見せたかったので、ふるまったところ案の定驚いていました)

すずしい、寒い
(いずれも4月の時期に行ったので過ごしやすい時期でした。日本が夏にものすごく暑くなるとか冬はすごい寒いとかまだ彼は知らない・・・・)

道路の並木、花などがきれい(中央帯の花など、軒先のガーデニングにも感動していました。山道は土砂崩れ予防していたり、そういうことに感動していました)

料理の味が甘い(糖尿病になるとさわいでました。こちらの料理は日本人からしたら臭い、辛い、苦い、塩辛いです。味覚の差は気候の差でしょうか・・・)

自動販売機がある(ミャンマーにも最近できたけど、飲み物の種類が豊富で子供みたいにはしゃいで買っていました。)


全体的にやはり都会で先進国であることを感じたと思います。
私の田舎は愛媛県松山市ですが、田舎だよと言ったら、いいや都会だよといってくれました。東京は巨大シティと言っておりました。
ミャンマーの田舎は本当に田舎だから・・・

お義父さんが私に感想を全て言うわけじゃないので、他にもいろいろと感じることはあったと思いますが、口に出して言った分かることだけ書きました。







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Posted by たひち at 17:00Comments(2)家族

2013年07月09日

おねこさま

これうちの猫です。のら猫ひろってきたそうです。



こっちの猫は小さいし、がりがりです。

本来猫好きなんだけど、体も洗っていないし、ダニよけもしてないので、
ダニがものすごいいそうなのでなでなでできません。

  

Posted by たひち at 00:50Comments(0)家族

2013年02月20日

弟のお店

だんなさんの弟が、店舗一ヶ月80000チャットで借りて、服のお店してます。


あんまり儲けはないそうですface01
大通りのところを借りると一ヶ月200000チャットだそうです。
服を1枚買いました。


2500チャット(たぶん原価くらいの値段)で売ってくれました。
  

Posted by たひち at 21:19Comments(4)家族