2020年12月12日

仏教について

お義母さんと夫はたまに仏教について議論が白熱する。

今、お義母さんはパターンというお経を毎日数時間読んでいる。
お正月とか何かの祝日にお坊さんが12人体制で1人2時間ずつ24時間スピーカーで読経するもので、辞典6冊分くらいある。お義母さんは2週間でやっと2冊終わったところ。

お経は、パーリー語で書かれているので、ミャンマー人でも勉強しないと意味は分からない。

夫は、毎日毎日、何時間もかけて読んでも、内容が分かっていないなら意味がないという。
人生の指南書ともいえる教えを理解して実践しなければ意味がないと。
人生は短いから、真髄を理解するよう効率的にしなさいとお義母さんに説いていた。

夫が言うにはこう。例えば「歯をきれいに保つ方法」という本に「歯を磨きましょう」とか「寝る前に甘いものは避けましょう」といった方法が英語で書かれていて、それの意味を理解しないで何回も英語で読んで、歯がきれいになると思っているのと同じだと。
これは、いい例えだなぁと私も感心。

ただ、自粛生活のなかで、ノルマを決めて達成するということに意味があって、毎日のお供えや礼拝もルーティンとして心を整えることに役立っていると思う。
そう言ったら、それもあるけど、それだけだともったいないという。

お義母さんはというと、あのお経を読んだら病気が治ったおばさんがいたとか、あのお経を読んだら家に落ちそうになっていた不発弾が他で爆発したとか、例を列挙していた。

ミャンマーの仏教では、お産の時はアングリマーラのお経とか、このお経を読んだら病気が治るとか、お金を寄付したらお金が巡って帰ってくるとか、ごはんを寄付したら食べ物に困らないとか、この儀式をすると来世も会えるとか、ご利益的なものが信じられている側面がある。自業自得がやや測物的になりすぎている…というのかな。

仏教の教えは難解だから良くない。儀式が、魔力を持った教えを魔力をもつ言語で唱えれば、願いが叶うみたいな感じになっている。
実際プラセボ効果もあると思う。苦しいときには、神仏にすがりたくなる気持ちもよくわかる。

ブッタに寄りかかって、信じれば救われると思うのは、気持ちはいいけれども、他の宗教と仏教と変わらないじゃないかと夫はいう。今の仏教が本来の仏教から外れてしまっているのを憂いている。


(あと、他のケンカは、お坊さんの悪口。生臭坊主はこっちにもいるけど、お義母さんは極力お坊さんの悪口は言いたくない。夫は、仏教のためにも悪い坊主を悪く言うのは仏教徒の務めだといって、よく言い争っている)


夫の言うことは、もっともだけど言い方がなぁと思った。

うちは、毎日お供えもしないし、お祈りもしない。しない人がしてる人に口出すのはどうかなと思った(笑)

子供の下の世話を1回もしたことがないのに、うんこ臭いからちゃんと洗えとか。
いつも、ありがとう。でも、ちょっと臭いよ。とかそれくらいにしたらいいのよ。

そんなわけで、正論でも言い方は大切だというオチでおしまい。


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Posted by たひち at 16:50│Comments(2)仏教
この記事へのコメント
去年の今ごろにヤンゴンへ旅行した時からこっそり読んでます。
今日の報道を見て、このブログのことを思い出しました。現地のリアルな状況はどうですかー?
また落ち着いたら更新してください!応援してますより。
Posted by じろう at 2021年02月01日 21:36
ありがとうございます。読んでくれてる人がいたんですね(^^)
クーデター発生から1週間の日記を書いたので暇なとき見てください。フェイスブックでは政治批判は怖くてできないので、こちらで書きます。
Posted by たひちたひち at 2021年02月09日 19:07
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