2021年03月16日

クーデター発生、その後

その後、事態は悪化するばかりで、ここには書ききれません。
私はフェイスブックのページでずっとミャンマーのことを発信しているので、良かったらご覧ください。

ミャンマー語の投稿を日本語で発信
https://www.facebook.com/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%82%92%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A7%E7%99%BA%E4%BF%A1-1342131755940109


他にも
「ミャンマーの今を伝える会」というグループも日本語で読めます。
https://www.facebook.com/groups/3842886239104820

その他、ローカルメディアや個人の各国の記者さんの発信もたくさんあります。

ミャンマーに関心がある方は、ミャンマー人がツイッターやフェイスブックでたくさん情報を発信していますので、ぜひご覧ください。
#WhatsHappeningInMyanmar
で検索してもらえると情報がたくさん出てきます。
よろしくお願いします。  

Posted by たひち at 12:18Comments(0)

2021年02月07日

クーデター

※私が見聞きした限りのことなので、事実と異なることがあるかもしれません。ご留意ください。

2月1日、8時に目が覚める。LINEのニュースで知る。
1階にいる夫と話す。にわかには信じられず、実感もない。

9時頃にお義父さんが銀行にお金をおろしに行きたいというので、夫とともに車で通りにでると、お米屋さん、銀行(ATM前も)行列が。ガソリンも入れとこうと言っていたが、道が混んでいて、ガソリンスタンドに入れず、家に戻る。バスも運行していて、喫茶店も開いていて、人々はいつもの朝を迎えているようにも見えた。

午前中、携帯の電話が使えず、テレビ放送も消えていた。携帯は昼に、テレビは夜にちらほら戻ってきた。

その日は、私と子供のビザの更新にダウンタウンの入管に行く予定だった。(地域の役所に有効期限までに提出しておけば、国の入管での更新手続きの時に期限が切れていてもオーバーステイにはならない。1月27日までだった)

どう事態が動くか分からないので、当然行かないと思っていたが、夫が思い立って11時に一人で向かう。帰りにスーパーによって、必要なものを買って帰ったが、特に混乱もなかった様子。スーパーの混乱は午前中だけだった模様。

昼頃には、フェイスブックのプロフィール写真が赤一色または黒一色に一斉に代わり始める。そのあと、フレームがたくさん出てきて、スーチーさんのフレームにする人も多くでてくる。

夫は、国立大学の講師をしているので、この日明らかに気落ちしていて、機械を直したりせわしなくして、動揺しているように見えた。この時には徹底的に対抗することは決めていたよう。義両親や義弟も静かに怒っていて、みんなもともと高血圧気味なので体調が悪そうだった。怒りは周りよりもまず自分を傷つけると話していた。
(民主化して10年近いけど、よく考えたら両親は人生のほとんどが軍事政権だったんだなと思った。クーデターも3回目。夫は、今抵抗しないとまずいと言っている。前のクーデターも最初は1年と言ってそのあと二十数年にもなったと)

コロナのせいでもともと大学の授業はなく、大学にも週に数回行っていた程度だった。私立の大学は、オンラインクラスに切り替わっていたが、クーデター発生の日は中止。(その後5日に再開したが、6日の昼前にネット回線が遮断された)

空港が閉鎖され、救援便が欠航になる。時期は不明だけど、再開されるという情報があり、気持ちは少し楽になった。

2日 パスポートを取りにまた入管へ。私と子供もついていって、車で待機。役所はまだ動いていた。ダウンタウンは、閉まっているお店は少しあったけど、露店や道を歩く人達も普通にいて、何も変化がなかったみたいに見えた。帰りにスーパーに寄って、1週間分の食料を調達。
後日に、オーバーステイの罰金は1日3ドルから5ドルになること、強制送還になる可能性があるという情報がでた。これは結果論だけど、更新できてよかった。この状況下で、オーバーステイで過ごす精神状態を考えれば、本当に良かった。

夜8時に、家の周りが急に騒がしくなった。夫は何も言わず屋上に向かい、水のタンクをたたいていた。何事かと聞くと、8時に抗議を表明するために一斗缶やなべをたたいて音を出そうと口伝で伝わっていたようだ。昔から悪霊払いに音を出して追い払う習慣があるという。
家は郊外なので周りにあまり明かりはないのだけど、屋上にあがると遠くの方からも音が聞こえてきて感動した(この時は時間も決まっていなかったが、数日後には15分と決まった。この日から毎晩することになる)


3,4,5日、家にこもる。私はめんどくさいので積極的に情報をずっと見てはいなかったけど、夫は1日目の夜は徹夜、2日目もほぼ寝ずにずっと見ていた。私も気持ちが落ち着かず2時くらいまでは起きていた。夫はめんどくさがって全然説明してくれないのでそれは嫌だった。

NLDがクーデター発生後72時間は我慢するように言っていたらしく、大きな動きはなかった。マンダレーで死傷者が出たとニュースで見たが、詳細は分からなかった。

3日あたり、CDMが始まる。マンダレーの医療従事者が離職するなど、公務員のボイコットが始まる。公務員でない人はCDMを応援することを表明。シェアではなく、定型文をコピーペーストして表明していた。(一点集中すると危ないし、みんなで表明するスタイル)
医療従事者が仕事しないと国民が困るから仕事を続けたほうがいいという意見もあったけど、そういう投稿をする人を友達から外すという投稿もあった。

日本にいるミャンマー人のデモも1日の朝からフェイスブックのライブで見えていた。
しかし、そのデモ活動の記事に対して日本人が「自分の国でやれ、迷惑だ」というコメントをミャンマー人の人がフェイスブックにキャプチャして投稿して迷惑をかけないように呼びかけていた。悲しい気持ちになった。

4日あたり、フェイスブック上でも、3本指を立てたセルフィを挙げる人が増え、抗議を表明した。
大学では、学科ごとに集合写真を作成し投稿しているのもあった。医学系の大学やヤダナーポンなど大学が公式の抗議を表明したところもあった。
夫の大学MMUでは、校長と副校長がだんまりを決め込んでいたため、夫は卑怯だと怒っていた。どちらに転んでも大丈夫なように黙っている。保身。校長先生のアカウントにも抗議を表明してくれと頼む生徒のメッセージにあふれていた。
7日の新聞には、パアンの大学の校長がCDMに参加したとして、逮捕された。
身内に軍関係者がいると反対を表明するのが難しいようだった。軍人でもNLDを指示するとフェイスブックに投稿する人もいた。

3日のお昼、フェイスブックが遮断される。VPNを使用するとまだ使えている。他の人も使えているようだった。投稿は減っていた。

そのころには、フェイスブックが遮断されることが分かっていたので、みんなツイッターのアカウントを作成し、QRコードを投稿していた。多くの人がTwitterに移行していて、多くのミャンマーに関する#がトレンド入り。150万件を超えるものもあった。3本指を立てたイラストが多く見られた。そのあとTwitterも遮断される。

6日の11時ころに、レーダンでデモが発生したことを知る。動画がフェイスブックで配信される。見ている人は5.5万人だった。12時前にネット回線が遮断される。

土日は銀行が休みであること、大規模なデモが起こる可能性があるため回線を切ったと思われる。なぜ携帯キャリアが使えているのかと夫に聞くと軍側も使うからだという。電話とショートメッセージは使えている状態だけど、情報は遮断されたと言ってもいい状態。(国際電話かけてみたけど、つながらなかった)テレノールは無料になった。
Bridgefyをダウンロードしていて、探したけど郊外のせいかまわりでやってる人見つからず。

夕方5時半にラジオを買いにピンロン通りに出ると車で混んでいて、沿道には腕をまっすぐ上に上げて、3本指をたてている人たちがいた。車もクラクションを鳴らし、窓を開けて3歩指を立てている人もいた。
夫が買い物客に聞くと、ズームで国会が開かれたから、国民が承認したことを午後5時に表明するためのデモだという。隣の家族もクラクションを聞いて、外に出ていた。
なんでも憲法では、選挙から3カ月以内に国会を開かないとその選挙が無効になるという。
軍としては8日までになんとしても阻止したいのだろう。ネット回線は7日夜まで切れると発表されているけど、8日に復活するのかわからない。

夕方に夫の旧友からレーダンでデモが行われるとの情報。私と子供を置いてデモに参加するという。完全に家にこもると思っていた私は面食らった。

落ち着かない気持ちで寝れずにいると、10時15分ころに電話で、スーチーさんが開放されたという知らせが入る。外に出ると家々から人が出てきて拍手したり、叫んで喜んでいる。(タマインに住んでいる親戚もそのような状況だったという)ミャワディ(軍の放送局)やBBCで流れたというけど、生で見た人はいない。クラクションを鳴らしたり、花火の音も聞こえた。うちの人達は猜疑的だった。ネット回線も戻っていない。

お義父さんがネピドーの知人に電話すると何も特別なことは起こってないという。
10時40分ころにメッセージが入り、7Daysが9時半にNLDに取材し、デマだと分かったという。ネットがないと情報の伝播がこんなに遅くて、デマが発生するのかと体感。

そのあと、国会が開かれて、ウィンミンが大統領、海外にいる人が副大臣になって、外国の軍が介入してミンアウンラインが捕まったという情報が入った。
さらに、次はナンバー2がミンアウンラインを拘束したという情報も…

ここまでくると、翌日の大規模なデモをかく乱させるためのデマとしか思えない。

7日、ゴミ収集車とお弁当さんやさんはいつも通り来た。
夫が薬を買ってきてくれた。(本当はその日に受診する予定だったけど、行けないので薬だけ飲み続けることにした)

インセインの大学の先生の従妹は、8日月曜日に学校に呼び出され、来ない人はCDMに参加している人のリストに入れるとおどされているという。

カンドージーや人民公園でデモすると情報もあるけど、住宅地で大使館もあるレーダンが良いとしてレーダンに行くという。人民公園は広いけど、封鎖されると終わりだと。

タオルをぬらして覆うとか催涙ガスの対応について話していた。 
マスクも大量に持って行って、マスクをするのも忘れている人に配るという。
義弟は、プリぺイドカード買ってから行った。変な人が来たら防衛するためにボールペンももっていった。

午前9時半ダウンタウンに向かっている従妹(軍医)がもう騒がしくなっていると電話くる。
ベリー橋にあるアウンサン将軍の銅像のところにも人が集まっているという。

結局、義弟とその部下、夫で行くことになった。お義母さんは前の家の人と行くようだ。お義父さんは、もともと危ないことはしない性格なので、本当はデモにも参加してほしくなかったよう。

午前10半に出て、午後2時半に戻る。
7日は警察はいなかった様子。車が通れるように管理していたという。
レーダンに住んでいる人によると人出は6日の5~10倍。
2007年のデモの教訓を活かして、記者はまぎれて携帯で撮影しているのではと。

昼の2時にも音をだそうとお義母さんにメッセージが来る。

とりあえず、途中までだけど、ネットの回線があるうちにアップします。


#ミャンマー #クーデター #Civil disobedience #CDM  

Posted by たひち at 18:27Comments(0)ミャンマーの怖い話

2020年12月12日

仏教について

お義母さんと夫はたまに仏教について議論が白熱する。

今、お義母さんはパターンというお経を毎日数時間読んでいる。
お正月とか何かの祝日にお坊さんが12人体制で1人2時間ずつ24時間スピーカーで読経するもので、辞典6冊分くらいある。お義母さんは2週間でやっと2冊終わったところ。

お経は、パーリー語で書かれているので、ミャンマー人でも勉強しないと意味は分からない。

夫は、毎日毎日、何時間もかけて読んでも、内容が分かっていないなら意味がないという。
人生の指南書ともいえる教えを理解して実践しなければ意味がないと。
人生は短いから、真髄を理解するよう効率的にしなさいとお義母さんに説いていた。

夫が言うにはこう。例えば「歯をきれいに保つ方法」という本に「歯を磨きましょう」とか「寝る前に甘いものは避けましょう」といった方法が英語で書かれていて、それの意味を理解しないで何回も英語で読んで、歯がきれいになると思っているのと同じだと。
これは、いい例えだなぁと私も感心。

ただ、自粛生活のなかで、ノルマを決めて達成するということに意味があって、毎日のお供えや礼拝もルーティンとして心を整えることに役立っていると思う。
そう言ったら、それもあるけど、それだけだともったいないという。

お義母さんはというと、あのお経を読んだら病気が治ったおばさんがいたとか、あのお経を読んだら家に落ちそうになっていた不発弾が他で爆発したとか、例を列挙していた。

ミャンマーの仏教では、お産の時はアングリマーラのお経とか、このお経を読んだら病気が治るとか、お金を寄付したらお金が巡って帰ってくるとか、ごはんを寄付したら食べ物に困らないとか、この儀式をすると来世も会えるとか、ご利益的なものが信じられている側面がある。自業自得がやや測物的になりすぎている…というのかな。

仏教の教えは難解だから良くない。儀式が、魔力を持った教えを魔力をもつ言語で唱えれば、願いが叶うみたいな感じになっている。
実際プラセボ効果もあると思う。苦しいときには、神仏にすがりたくなる気持ちもよくわかる。

ブッタに寄りかかって、信じれば救われると思うのは、気持ちはいいけれども、他の宗教と仏教と変わらないじゃないかと夫はいう。今の仏教が本来の仏教から外れてしまっているのを憂いている。


(あと、他のケンカは、お坊さんの悪口。生臭坊主はこっちにもいるけど、お義母さんは極力お坊さんの悪口は言いたくない。夫は、仏教のためにも悪い坊主を悪く言うのは仏教徒の務めだといって、よく言い争っている)


夫の言うことは、もっともだけど言い方がなぁと思った。

うちは、毎日お供えもしないし、お祈りもしない。しない人がしてる人に口出すのはどうかなと思った(笑)

子供の下の世話を1回もしたことがないのに、うんこ臭いからちゃんと洗えとか。
いつも、ありがとう。でも、ちょっと臭いよ。とかそれくらいにしたらいいのよ。

そんなわけで、正論でも言い方は大切だというオチでおしまい。  

Posted by たひち at 16:50Comments(2)仏教

2020年11月05日

コロナ禍で発覚したキンマ愛

子供が最近便秘しがちで、それをお義母さんに話したら、浣腸は腸が薄くなるからやめたほうがいいと言われ、
いい伝統療法があるからやってみるか?と言われた。

それは、キンマの茎に塩を刷り込み、それをお尻の穴に差し込むというもの。そうすると便と一緒に出てくるという。

騒ぐ子供を押さえつけ、お尻に入れると大泣きしたあと、神妙な顔つきできばって、無事に出た。

キンマは伝統的に家庭の薬として使われてる。
夫は頭頂部が薄いことを気にしていて、コロナで外出しなくていいことを理由にカミソリで全部髪をそって坊主にし、毎日丹念にキンマの葉を潰して塗り込んでいる。
髪を剃ることで髪が強くなるとも信じられていて、幼児期には男女ともにミャンマー人なら少なくとも1回は剃られているはず。

また、咳が出るときは、薬を包んで葉ごと咀嚼する。

体のどこかが腫れたときは、葉っぱを貼る。
そんな感じでキンマは生活の中に浸透している。

外国人にとっては、噛みタバコのイメージしかないけど、キンマの葉だけなら毒性はない。
噛みタバコの中に入っている石灰と反応して赤くなり、歯に色素沈着する。
飲み込むと胃に悪いので、噛みタバコをしている人は、そこら中に吐き出すというわけ。

フェイスブックのコミュニティページに、日本人男性がキンマ(噛みタバコ)がコロナの感染拡大に一役勝っていると言って、スーチーさんのページや大使館に規制するようメールを送ったと書いていて、腹がたった。

彼の主張は、吐き出したツバが砂埃とともに舞って感染するというものだった。私は屋外では、乾いて舞い上がるころにはウイルスは紫外線で死滅するし、雨や風で希釈されるからそれで感染する可能性は低いと思った。

お義父さんも石灰の成分で酸性になってるからそもそもウイルスが死活化してるのではと話した。

確証がないのに、よくそんな主張ができるなと憤りを感じてしまった。
そもそも自宅待機措置という最大の措置を取っているのだし。

家の中でのコップやスプーンの使い回しのほうがよっぽど感染する(笑)

コロナに乗じてもとから変えたかったことを主張しているだけだと思った。
検証、議論もないまま、なし崩し的に変えようとするのはどうかと思う。

もちろん、健康面、景観のことを考えれば咬みタバコは規制されたほうがいいし、私もなくなってほしい。歯が真っ赤な人が外国で働くのは難しい。
でも、そんなに急に規制するのは無理だろう。
ニコチンの依存性の高い嗜好品だし、それで生計をたてている人がたくさんいるから。
自分自身、こんなにこちら側の立場にいることに驚いた。身内に嗜んでいる人がいるからだろうか…
そんなに嫌悪するなら日本に帰れとまで思った(笑)
(まー、街中は汚れがひどいのかもしれない。私の家は郊外だからあまり感じないというのもある)

結局その後、売り場が密になるという理由で郡区レベルで2週間販売が禁止の指令が出た。
でも、葉は3日くらいしかもたない。
結局、秘密でお店や売人の家で販売された。

そんなこんなで、自分はキンマを利用したことはないけれど、コロナによってキンマに対する愛を認識することとなった…(笑)

(追記:投稿のコメントには、コロナと関わらず、噛みタバコに反対する意見のみだった。最後は、吐き出したつばを入れるエチケット袋を携帯することを提案することでまとまっていた。)

その後の生活はというと、
9月上旬に自宅待機措置が出てからは、スーパーなど買い出し以外は家にいる生活が続いている。

夫とお義父さんは、4月以降オンラインに切り替えて授業をしている。
義弟は、建設の仕事が中止になってずっと家にいる。いとこの生活用品やお菓子を売っている小売店も閉めている。

そんな生活もはや2ヶ月になろうとしている。政府の自宅待機措置はまだ続いているけど、通勤は許可されたので交通量はかなりもどっている。(未だに店内飲食はだめ)

お義母さんは、仏教徒仲間との宗教行事もずっとしていない。ダディンチュの期間はオンラインでお坊さんが説法してくれて、一週間家でヨーギしてた。

娘は、2歳になったら幼稚園に入れるつもりだったが、ちょうど水掛けまつりあたりから学校が閉まったため行けず。もうすぐ2歳半になる。

今の市民の関心は、総選挙に向かっている。
ちなみに、投票をした人が2重に投票するのを防止するために、指になかなか取れないインクをつけるのだけど、日本政府が供与してるのを最近知った。
投票所で感染が広がらないといいな。

おしまい。  

2020年09月19日

コロナ、その後

その後、コロナと生活について

4月は、自宅待機と水かけ祭りが重なって、お店も閉まるし、外も出れなくて、閉塞感があった。みんなスーパーに行って買いだめした。

5月半ばから帰国者のみの感染者数が毎日発表される日が続き、ヤンゴンが市中感染がなくなった。もう限界だと感じて、カンドージーに散歩に行き始めた。子供の誕生日も親戚と祝った(親戚は役所に確認をとってから、家にきた。どんだけ参加したいの笑)

6月半ば、ヤンゴンで市中感染が1カ月なくなり、もうそろそろいいかなということで、ミャンマープラザに行くようになった。少しずつ活気が戻ってきたころ。
お義母さんの知り合いも家に訪問にくるように。(2カ月半も控えてたのはすごいと思った)
僧院や講堂での行事も普通にしてた(本当はダメ)

このころから、マスクをして密は避けるけど、日常生活が少しもどったような感覚があった。
8月半ばには家族でパアンに旅行に行った。規制が15日までだったから、規制が明けたら写真をフェイスブックにあげようなんてのんきに考えてた。長く続くコロナでみんなリフレッシュが必要だった。きっと、このころは政府の規制はやりすぎだとみんな感じてたと思う。

8月16日にラカイン州で感染者がでる。
どうやら、施設隔離が嫌で、国境から密入国した感染者がいたみたいだ。
しかも、感染力の強いヨーロッパ型。
そこからヤンゴンに伝播し、ヤンゴンでは3カ月ぶりの市中感染。
9月半ばの現在はラカイン州は落ち着いてきたけど、ヤンゴンは感染の最盛期。いつピークを迎えるか分からない。ピークを迎えてるかもしれないけど分かるのは時間かかる。死者はずっと6人だったけど、今は50人を超えた。スーチーさんのヤンゴン自宅職員にも感染者がでた。11月の総選挙も延期を希望する声も。

ANAは4月半ばまでがんばって飛ばして、それ以降は、月に3回くらい帰国したいミャンマー人のために救援便を運航してた。帰りの便に帰国したい日本人が乗ってた。
でも、ミャンマーに入国できる日本人はODA関係者とかすごく限られてる。つまり帰ったらしばらく戻ってこれない。
それでも、帰れないのと帰らないのとではすごい違うので、救援便が飛んでいるのはうれしかった。今月は、こちらの検査数のキャパが足りず、キャンセルになった。
トゥワナスタジアムに緊急で隔離施設を建設している。

家の2本隣の通りで感染者がでたとフェイスブックにでてて、お義母さんが知り合いに確認したところ、病死者がいて、検査員が検査にきたということだった。結果は陰性。
それでも、住んでいる地域で感染者は累計20人くらいはいるから気を付けないといけない。

知ってる駐在員の奥さんたちは、3月末にみんな帰っちゃって、8月に日本人会の図書館で4カ月ぶりに日本人と話した。

9月9日からついに住んでいる地域も自宅待機になった。10月1日までになってるけど、きっと延長される。
いとこのお店も閉めた。義弟もパテインでの建設の仕事を休んで実家にいる。義弟といとこが子供のめんどうをみてくれるからうれしい。外に行けなくてつまらないけど、家族の絆は深まったなと感じる。
いつピークを迎えるのか、迎えてるかもしれないけど、いつかは減少傾向になるはずだから、辛抱しよう。

追加;その後、2週間のロックダウン措置になった。
  

Posted by たひち at 12:51Comments(0)生活一般家族

2020年07月14日

犬怖い

ここ最近、犬が嫌いになった。

最近、近所に犬が増えた。

近所の家2軒が、犬を大量に放し飼いしている。
昼間はまだ犬もおとなしいし、他に人がいると安心なんだけど、夜道を歩いていた時に5匹にほえられた時は、怖かった。

こないだは、近所の家に訪れたお客さんを噛んだらしい。
お義父さんやいとこもその犬に追いかけられたことがあるし、危ない。
噛んだ犬はいまだに放し飼いされていて、まだ近くをうろうろしている。

こちとら、小さい子供もいるし、本当に憎らしいし、怖い。face09
なぜ、飼い主は噛んだ犬を鎖でつながないの?
首輪をつけてるなら、責任があるんじゃないの?
責任とらないなら、首輪はずせと、はずしたら保健所的なところに電話してやるわ!とまで思った。

家の前にうんこされるのは我慢してたけど、自由に散歩できないのはすごい嫌だ。
コーヒーや酢のにおいが嫌いということを知って、家の前にまいてみたけど、毎日雨が降るからあまり効果はなかったface07


ミャンマー人でもちゃんと犬を飼っている人は、1頭だけ飼っていて、ちゃんと家の門扉から出さないようにしている。
(だいたいちんくしゃな毛むくじゃらの犬)

多頭飼いしている家は、野良犬が繁殖期に軒下で子供を産んで、可哀そうだからそのままにしてやって、餌もやってるみたいな感じだ。
日本なら、多頭飼いで放し飼い、しかも人を噛んだとなれば即保健所に通報じゃ!(子供を噛み殺した犬を殺処分にした記事は見たことがある)
ミャンマーは、去勢やリードでつなぐことは一般的じゃないみたいだ。

日本では、犬猫は毎年20万頭も殺処分されて、飼われるにしても去勢されて可哀そうな存在だけど、
ミャンマーだとほぼ野生動物(笑)
日本では、犬猫なでなでして可愛がっていたけど、こっちに来てからは汚いから全然触ってない(笑)

近所の人は何も言ってないのか?そこまで寛大なのか?と思って
今朝、お義父さんに聞いたところ、近所のみんなが文句を言って、
家主が家賃返却して、引っ越しを促したそうだ。

というわけで、怒り心頭だったけど、解決に向かいそうなので日記に書きました。
はやく引っ越せ~~~~







  

Posted by たひち at 17:26Comments(0)生活一般

2020年04月21日

コロナと現在の生活について

久しぶりのブログです。現在の生活について書きます。


3月上旬、周りの国に感染が広がっていたのにミャンマーでは感染者の発表がなかった。
お義母さんがこれは、仏教の力だと話していた。フェイスブック上でもそのような投稿を見かけた。それを聞いた夫が、じゃあなんでバガンで地震が起こったの?といってお義母さんと議論していた。そのころは、私は感染者がいても発見されてないだけだろうと思っていた。
ちなみにミャンマーでは、新型コロナウイルスを当初ウーファン(武漢)ウイルスと呼んでいた。現在は、コービッ(COVID19)と呼ばれている。

3月中旬、学校の閉鎖が決まった。水かけ祭りの中止も決定された。
夫は私立の大学の授業を早々とオンラインに移行して対応した。(国立の大学は5月の開始も延期された)

3月下旬、駐在員の奥様方が予定を前倒して帰国する。私は誰にも帰れと言われないので、予定通り4月19日の便が飛べばそれで帰ろうと思っていた。そのころは、ビジネス料金を払えばすぐ乗れる状態だった。

※ミャンマーの空港閉鎖が決まった後大使館が交渉して、ANAは日本からの便は回送便にすることで19日までの便は運航した。(※21日に書いてます)

予定を早めて、日本に戻るかうっすらと迷ったが、日本に帰るといつヤンゴンに戻れるか分からないこと、私たちが帰ることによって高齢の両親の感染リスクが高まることなどを理由に帰らないことを決めた。そのうち、両国で感染者数が増えて、ミャンマーの空港閉鎖、東京都の緊急事態宣言を受けて、はっきりと帰国を延期することにした。
(その時ANAの払い戻し対象期間がちょうど延長されてラッキーだった。国内LCCは欠航になり、半年まで使える金券となった)

国内で感染者が数人で、危機意識がうすいころ、グエサウンビーチに家族で遊びに行こうなんて話していたが、お義父さんが危ないから反対した。言っていた通り、行く予定の日にビーチが閉鎖された。行っていたら着いた日にホテルから追い返されるところだった。

国内でイギリスやアメリカからの帰国者、フランス人観光客やガイドから感染者が発見され始める。スイス人がスイスで感染した父親と2時間接触した後、ネピドーから入国したんだけど、それが国連職員というのが分かって相当腹が立った。
それから、キリスト教会の集会で感染が拡大した。
他国の様子を知っていて尚そんなことをするのに相当腹がたった。しかも有名なミュージシャンがそこで感染した。

仏教徒たちは、その点賢かった。いつものお正月期間ならお坊さんや尼さん、ヨーギ(修行者)になって僧院やメディテーションセンターに入るところを中止した。
お義母さんは、熱心な仏教徒で水かけ祭り期間は家で一人ヨーギになり、精進していた。
マンダレーの高僧がオンラインで説法してくれるらしい。

お義母さんはミャンマーで感染者が見つかる前から毎朝お経をあげて世界に対して祈っている。ヤダナートウというお経が特に良いらしく、スピーカーをトラックに載せてお経を流せばいいよねって言ってた。その時私はお経で感染が収まるかいっと思ったけど、自粛期間が長く続いた現在では心の安定のためには効果あるなと思う。

マンダレーでは、政府がお坊さんが托鉢に出なくていいように支援することを決めた。ヤンゴンの方は低所得者への食糧支援するという記事はみた。
今は、お坊さんも尼さんも外で托鉢に回っていない。

4月10~19日まで不要不急の外出が禁止された。もともと水かけ祭りの期間なので、心づもりはできていた。停電も2日ほど、続いて去年の悪夢が思い出されたけど今のところ順調に電気はきている。(去年は5月下旬から3週間ほど毎日8時間くらい停電した)多くの工場が閉鎖してるので今年は電気が来るだろうと夫。

4月10日までは、家族で買い物や公園に出かけたりたまにしていたが、水かけ祭り期間を経て、感染者も111人に上っている現在、うちはまだ対象外だけど買い出しは夫一人が行くことにして、外出しないことした。

大学の給料も現金手渡しだったけど、送金することが決まったみたいだ。(以前も振り込みにしたことがあったみたいだけど、不具合で手渡しになっていたという)
ビザはあと数日で切れるので夫に手続きしに行ってもらうことにした。

もともと小さい子供がいるから外出もそんなにしてないし、バイトも在宅なので生活はあんまり変わっていない。それでもたまに気晴らしでの外出がなくなったのはストレスだ。
今は、日本のバラエティー番組見て、ガハガハ笑ってお菓子食べている(笑)あと、オンラインショッピングやデリバリーを楽しんでいる。
ちなみにうちは数々のデリバリーサービスが配達圏外で、ヤンゴンドア2ドアしか来ない(笑)

夫は、ピアノやギターを弾いたり、3Dアニメーションを動かして遊んでいる(笑)
正直、夫に帰らないでと言ってほしかったけど、夫はどうせ何を言っても私はしたいようにすると思っているらしく何も言わなかった。帰らないと決めたときは内心喜んでいるようだった(笑)
前回、私が長く帰省した時には夫は時間を持て余して3Dプリンターや3Dペンを買って遊んでいた‥。

日本人も昔から度重なる災害に遭って、ミャンマー人たちも長い軍事政権を生き延びてきた人達なので、こういう危機には案外強いと思う。
ミャンマー政府の対応もはやく、国民もいうことをきいている。
今も日本やミャンマーは欧米みたいにはならないと楽観的にみている。ただ、世界の感染の収束しなければ航空業界は正常化しないだろうし、自粛生活が長期化するのはなんとなく想像できる。

もう健康管理と祈ることしかできないのだけど、この世界的に未曾有な危機を経て、あの時はこうだったよねと後で笑って話せる日が来ると信じている。

おわり。
  

Posted by たひち at 11:43Comments(0)

2020年01月08日

尼さんめんどくさい、ごめんなさい

尼さんは毎日家々に声をかけて回って、お米やお金を集めるのが習慣で、
実家はそのためにボールに生米とスプーンを入れておいて、尼さんが来ると尼さんの持ってる入れ物に1杯ずつあげるのだけど・・

私は、めんどうなので自分が玄関付近で用事をしていて、直接見えるときだけ小銭をあげていた。
なので、うちには来なかったのだけど・・・

昨日鉢合わせて、もうめんどくさいやと思ってコメ袋ごとあげて、さらに続々と尼さんが来るので200チャットを何枚か数人にあげたら
今日は大声でうちの前に呼びに来まして 
檀家よ~!檀家よ~!って・・
居留守使った。ごめんなさい。

私外国人だし、仏教徒じゃないし・・・
NHKの集金か(笑)

こちらの良心を試しているのか・・・
子供だし、貧乏で尼さんになった子たちだろう・・・
かわいそうだけど

でも、ここで扉を開けたら、毎日来るぞ・・・
めんどくさい・・・

前にも毎日めんどくさいから、僧院にコメの袋持って行ったらいいんじゃないとお義母さんに言ってみたんだけど
毎日、檀家さんところからもらうのは習慣らしく

でも、毎日来られるのはちょっとめんどくさい・・・
今度、僧院にコメ寄付するから許して下さい・・・
  

Posted by たひち at 12:00Comments(0)

2019年12月22日

変化

日本に3カ月ほど帰っていたのだけど、

帰ってきたら、KFCとロッテリアが家から車で5分ほどの距離にできてた。
あと、メリーブラウンも。

ここにきた2012年冬には、家の周りには市場しかなかったが、2年後にキャピタルスーパーができ、5年後にシティーマートができた。
キャピタルも生鮮品が少なかったので、朝に道端でおばさんが売ってる肉や野菜を買っていた。
シティーマートは品ぞろえが良くて、ずーっと利用している。

この前久しぶりに市場に行ったら、相変わらずにぎやかでちょっと安心した。

家の周りもぐるっと散歩すると4~5軒は、家を建設してる。
昔ながらの高床式の家も少なくなってきた。

大通りも長い工事の末に道幅が広くなって舗装された。

ミャンマープラザ、ジャンクションシティ、セントラルとか商業施設、新しいホテルもたくさん建った。

電波も格段に速くなった。

この数年でヤンゴンはどんどん変わっている。
私的には、住みやすくなって、うれしい。
でも、少しさみしい部分もある。

YBSになる前のボッロボロのバスに揺られて友人と探検したのは楽しかった。
グラブタクシーになってから、ドライバーとの会話が減ったと思う。

クリスマスの飾りも華やかになるけど、なんかミャンマーらしさが失われてるとも感じる。

でも、ロンジー、タナカ、キンマ、ミャンマー料理、仏教とかはずっと残ると信じている。
伝統的なものと現代のものが共存していくといいなと思う。

おわり。

  

Posted by たひち at 09:52Comments(0)生活一般

2019年06月08日

子育てでよく使う言葉

赤ちゃんに使うミャンマー語メモします。

痛いの痛いの飛んでけ~
=オンファ オンファ(なぞの呪文)イードンマタタ(うんこが立った)
(チードンマタタというおばさんもいた)

いないないばぁ
=トゥトゥイェワー

あやすときの決まり文句もあって

クチクチクチ・・・とか(日本語のこちょこちょに似ている)

手をぐっぱーさせながら
チュッマイマイ チュッマイマイ

立った時に
ヤッナインベーヤッナインベーといいます。

むせたときには
ナーディナー ディナーディといいます。


あと変な習慣(迷信?)も

しゃっくりをしたときに、子供の来ている服の糸をつばでおでこにまるめてくっつける。これでとまるそう。おまじない的な?

鼻水が出たときに、足にガソリンぬる。鼻水がとまるそう。
実際に塗られて驚いた。


案外、同じなところ。
喃語に対して、そうなのーと応答するところ。

こけてぶつかったときに、当たった物のほうをたたいて、こいつが悪いというところ。

子育てメモでした。
おわり。
  

Posted by たひち at 15:17Comments(0)子育て

2019年04月26日

占い

私は、とある雑誌の占いを毎月翻訳しています。
もう1年にはなると思うけど、訳すたびに違和感を半端なく感じます。

ミャンマー人の占いは、日本人には当てはまらないな~と思うことが多々あります。
まず、生まれた曜日で占う。日本人は自分が生まれた曜日なんか知らん(笑)

毎月毎月、どこかの曜日で必ず仕事を辞めたくなる。
毎月毎月、転職する。引っ越しする。あきっぽすぎるやろ~
外国に出張に行きすぎる。昇給・出世する。
そんなに滅多にないわ~。

今月の占いでは、恋愛に関して

〇直訳「予期せず結婚することになるでしょう」
分からないので、夫に聞くと・・・

夫「できちゃった結婚だね!」w

なるほど、直接的に書かないのね・・・っていうかそんなの占いに書く??

〇直訳「問題が生じて誤解され、結婚することになるでしょう」
夫いわく・・・
「これは、部屋で恋人といるのを親に見られて、結婚させられるパターンだね」と。

なるほど、婚前交渉がばれたら結婚させられるのね・・・って本人の意思わい
昔は、つきあってるのがばれただけで結婚させられてたらしいですけどね。

とか、他にも
犯罪を犯してしまうでしょうとか・・・
日本の占いでは見られない突拍子もないことが書いてあるので、訳するのが大変です。
直訳しても面白いですけど、無難な感じにまとめてます。
おわり。
  

Posted by たひち at 19:38Comments(0)ミャンマー 文化

2019年04月22日

食事について

ヨーグルトにタニャ(ヤシ砂糖のあんみつ)入れなかったら、義母に甘味、塩味、酸味など6つの味が等しいように与えると良いと力説された。(子供は苦みと辛みは抑え目で)

日本の本にはプレーンを与えると書いてるし、日本の考えでは5歳までは薄味にすると伝えた。子供の味覚は大人よりも敏感だし。
1歳に満たないのに、クリーム付きのドーナツとか塩分の強いモヒンガーを与えてくる・・・

多分問題ないんだろうけど、初めての子だし慎重にいきたいところなんだけどなあ
実家に行ったときは、断ったら失礼だから、少しだけあげるようにしてるけど

おばさんも大人の食べ物を少しずつやれとうるさい(笑)唐辛子が入ってるおかずも少しずつ慣らしたほうがいいと言われた。でも、日本人には一生唐辛子食べない人もいるんだよ!
夫も一生食べるんだから、急ぐことないと言ってくれた。
本人が大人のもの食べたがるから、大人のおかずをちょっとあげてるけど。
このままだと舌がミャンマー人になってしまう・・・www
ミャンマーと日本料理どっちも好きになってくれたらいいなと思った。
  

Posted by たひち at 15:07Comments(0)子育て

2019年03月19日

家の前を通るもの

今日は、家の前を通るものを紹介します。

午前中

7時過ぎにゴミ回収が来ます。来る数分前にチリンチリンと鐘を鳴らして、住民に知らせた後、トゥクトゥクのような3輪車バイクが来てゴミを回収します。
1年前には、各家のごみを家の前に出しておくと大きなゴミ回収車が家を回っていたのですが、2~3日に1回不定期でいつ取りに来るかわからないので、ゴミが犬に荒らされたり悪臭がしたりして問題でした。
もし、時間が合わない場合は昔のように、自分で近所のゴミ捨て場に捨てに行きます。

早朝には、たまにゆでた豆(ペーピョウ)や鶏肉を売りに来ます。豆はござに入れて頭に乗せ、鶏肉は、計りとともに棒で担いできます。天秤みたいなやつ何ていうんだっけ?

9~10時ごろ
お坊さんが托鉢にきます。これも来る数分前にリーーン、リーーンと鐘を鳴らして住民に知らせます。住民は、ごはんやおかずを托鉢に入れます。

昼頃
尼さんが托鉢に来ます。時間は不定期です。明るい子供の声で「檀家さ~ン」と声をかけて家々をめぐります。住民は、生米や小銭をあげます。(お坊さんは炊けてるのにお米で尼さんは生米って差別じゃないのか・・・)実家は、ボールに生米を入れてスプーンでひとさじずつ鉢に入れています。以前に毎日スプーン一杯ずつって効率悪いから、1カ月に1キロとかまとめてあげたらどうですかなどと、無粋なことを言ってしましました。

あとは、大音量の音楽を流しながら押し車で、宝くじ売りも来ます。
昼過ぎになるとあんみつにゼリーを入れたようなお菓子(モンレッサウン)やアイスを売りに来ることもあります。
他の地域に行ってもおじさんの声が同じなので、録音されたの使ってるようです。
「やきいも~やきいもっ」みたいな。

それから、ペットボトルや缶、壊れた機械などを買いに来ることもあります。うちの近所は、インド人でリアカーを引いてきます。

あとは、月1回くらい寄付を集める団体が通ります。クリスマスには、子供たちがギターを持って家々を巡って歌を歌い、寄付金を集めます。夫は、仏教徒なので居留守を使います(笑)

おわり。  

Posted by たひち at 17:33Comments(1)生活一般

2019年02月27日

訃報

訃報が多い

先々週の金曜日に大学時代に同じスクールトラック乗っていた22歳の女の子が亡くなった。髪が長くてかわいい女の子だった。デング熱だったそうだ。病院の処置が良くなかったと聞いた。
調べると日本では罹患した1500例のうち死亡例はない。こういう話を聞くたびにミャンマーの医療は怖いなと思ってしまう。

ミャンマーに来てからの数年でかなり訃報を聞いている。

友人のいとこ26歳、結核の薬処方し間違えでなくなる。
夫の同僚のこども1歳で亡くなる。原因不明。
夫の同僚のこども死産。9カ月だった。原因不明。
夫の同僚の母親、脳出血の一週間後に死去。
夫の親戚、大腸がんの手術中に亡くなる(60歳くらい)。
義母の世話になってる坊さん56歳で糖尿病で亡くなる。足のケガを放置。
同じクラスの韓国人留学生自殺(20代)

日本側でも
20代の外国語大学生、乳がん。ヤンゴンに始めてきた年に仲良くしてもらった女の子。

死なない人はいないけど、ミャンマーに来てから若くで亡くなる人が多くて、人生って儚いなという気持ちになる。
あと、日本みたいないらない延命処置はしないですぐ死ねるけど(笑)適切な処置を受けたらもっと生きれた人もいたんじゃないかなと思う。
医療ミスで病院を訴えることもしないし、恨みもしないみたいだ。
もちろん、信頼のおけるお医者さんもたくさんいるので、そういうところ見つけないとなと思いました。


お葬式は、焼き場に隣接したところで行われます。
遺体は花に包まれて透明の棺桶に入れられる。訪問者は、1時間前に焼き場に来て亡くなった人を拝みます。お坊さんや尼さんがお経を読んでから、火葬される場所に運ばれていくのについていって、扉が閉められたらそこでさよならします。
お坊さんは骨を拾うこともあるけど、普通の人は拾わないそう。田舎は土葬するところもあるそうです。
私は3回ほど、お葬式に参加しました。
こないだのえらいお坊さんは、僧院で祭りみたいにやってました。
おわり。


  

Posted by たひち at 13:35Comments(0)ミャンマーの怖い話

2019年02月22日

授乳中のおっぱいはエロくない

ミャンマーにいると外で授乳している姿がちらほら見かけます。

授乳中のおっぱいはエロくないらしく、ケープで隠すことなく授乳しています。

アメリカだとつかまりますね。これも文化差だなと思います。

夫が同僚の乳首が黒かった!と言っていましたが(よく見てるんじゃないか!)
ホルモンの影響だと思うよ・・・。




あと、子供預けているときに、夫に電話かかってきて
もう乳吸ってるから、取りに来てと
これ、やってますね。。。?

こないだ、私がいるときに子供が義母の乳を欲しがっていて、
途中まで脱いで、シャワー浴びてないからね~と言ってその場ではやらなかったけど
こら、やっとんな!と思いました。


あと、ベッドに置くタイプの大きなカヤ買ってくれました。  

Posted by たひち at 20:32Comments(0)子育て

2019年02月21日

子育てについて

今回も子育てについて書いてきます。
ごちゃごちゃに書いてすみません。

衛生面のこと
〇なんでも口に入れること
赤ちゃんは手が使えるようになると口になんでも持っていきます。日本の本には、発達の過程なので誤飲に気を付けて好きなようになめさせると書いてあるので、大丈夫なものなら拭いてから積極的に遊ばせています。
しかし、実家では口に入れないように制止されます。口の周りにほら貝みたいなのがぶつぶつでる病気になるそうです。衛生的に良くないからダメと考えているようです。(実際実家は開け放っているので、ものがほこりっぽいし、猫も出入りしているからそれでいい)

〇食器使いまわすこと
私は、それよりもスプーンの使い回しやコップの使いまわしのほうが、虫歯菌がうつるので気になりますが、それを言うとたぶんこっちでは生活できないので言わないことにしました。スープは大きなお皿にスプーン1本は、結婚式場でも当たり前だし、ラペや食後のデザートも基本的には1皿に1本です。それをみんなで使いまわすのが当たり前なのです…。誕生日では、スプーン1本でケーキを一口ずつ出席者に食べさせるイベントもあります。(インド由来?と聞きました)風邪ひいてた時は、さすがに断りました。 

〇手づかみ食べを日本では10カ月くらいから積極的にさせる方針だけど、1歳になる従妹にはさせてませんでいした。大人は手づかみで食べて、その手で赤ちゃんにあげてました。 

〇ちなみに夫が赤ちゃんの時は、ねずみの赤ちゃん握りしめてたんだって…ちゅうw

〇授乳服は着ない。ワンピースはあまり着ないから、授乳できるんだと話していました。

〇授乳ブラは、ホックで上部がパカっと開く中国製のブラがあります。ミャンマー人女性は、縫製やさんでブラを縫うこともしばしばあるそうです。

〇妊婦にも赤ちゃんにもサプリを飲ませまくる。日本だと葉酸くらいですが、こちらだといろんな栄養剤的なものを飲みますね。

〇あと、義理の姉がお店のテーブルに赤ちゃんを立たせて踊らせていたのが衝撃的でした。店員さんもほほえましく見ている・・・。日本ならSNSで馬鹿親とさらされるところだなと思いました。

〇義母は紙オムツは、あまりさせたくないらしく、お風呂上りなどつけないままでいさせたがります。昔は、なにもつけず、直接ズボンをはかせて、用をするたびにふいていたそうな・・・。めっちゃ大変。布オムツも主流で、従妹ちゃんは日中オシメ使っているそうです。
私は、心がやられそうなんで、少々お尻があれても紙おむつでやっていきます。オムツかぶれたときに塗る薬も手に入ります。

〇オムツは、1枚あたり200~500チャット(14~35円)くらいまで幅広く、国内産もあるしマレーシア、タイ、中国からの輸入製品もある。日本製は日本で買うより1.5~2倍くらい高い。

〇赤ちゃん用の薬は、国内産もあるし、マレーシア、インド、バングラデシュ、アメリカ、タイ製などなど各国から輸入している。

〇赤ちゃん用お菓子は、お米せんべいとボーロ、パフなどが手に入る。お米せんべいは安く、アメリカ製のパフは700円くらいする。

〇あと蚊にめちゃめちゃかまれる
薄い綿の生地の長袖、長ズボンをすすめられる。
日本からもってきた、キャミソールとかカバーオールが役に立たない・・・。

おわり  

Posted by たひち at 13:37Comments(0)子育て

2019年02月21日

はじめてのこども病院

先月ビッグバッドウルフという洋書のバーゲンセールに行って素敵な絵本を半額以下で買えたわ~とうきうきしていたところ、財布のジップの金具がなくなっていることに気づいて青ざめました。
引っ張って遊んでいたので、飲み込んでしまったかもしれないと思いました。


帰り道にちょうどパラミーこども病院があったので、寄りました。24時間救急を受け付けている大きな病院です。
一緒に行った義母は、なんともない、飲み込むはずがないといいました。義父は、大丈夫だろうけど、私たちが心配しているのを見て、すっきりさせたほうがいいから寄ろうといってくれました。

カルテ(ノート)を数百円で買って、診察。誤嚥はしてないけど、CTをとることに。飲み込んでたら入院と言われ、義母がなんともないのに大ごとになったといいました。義母は、不必要に放射線を浴びることのほうが心配のようです。私と夫が防護衣を着て、腕と足を抑えてとりました。嫌がるのをなんとか押さえましたが、1回とり直しになりました。

結果は、何も写らず、飲み込んでないことが分かり一安心。
診察代15,000チャット、CT代18,000チャットでした。2400円くらいです。
こちらに来て初めて病院に行って様子が見れて、ちょっと安心しました。
  

Posted by たひち at 13:36Comments(0)子育て

2018年12月19日

子育ての文化の違い

さて、もうヤンゴンに来て、10日ほど経ちました。

来る前は、あれほど心配していましたが、なんとか生活していけそうな目処がたってきました。


飛行機では、ほとんど寝てくれていたので、助かりました。成田で知り合いに会って、アナのラウンジ初体験してきました。
席も隣というすごい偶然でした。ベビーシートも使えました。機内食の離乳食は、7・8カ月以上かなという内容でしたが、食べれるものだけあげました。

ヤンゴンについてから、しばらく来客がありました。おばさんたちや夫の同僚が、突然訪れました。
着いてから荷物も多くて、家はぐちゃぐちゃだったので、前なら勘弁してくれと思っただろうと思いますが、今は素直に会いに来てくれてうれしかったです。(家の近くの同僚は、着いた翌日に寝室まで入ってきて寝ているめいちゃんを見ていきました・・・)

子供ができてから、この距離感がうれしく感じるようになりました。万歳、ミャンマーの国民性!
太ったねと言われても全然気にならなくなったのも不思議です(笑)

ごはんは、カインカインチョーというミャンマー料理屋さんのお弁当を毎日頼んでいます。毎朝8時に届いて、私の昼食と二人の夕食になっています。月に175000ks(約1万2千円)で、やや高く感じますが自炊してもこのくらいかかるだろうし、なんせ労力がかかります。
大変助かってます。私も料理は苦手だし、夫もミャンマー料理が食べたいので最高ですw

それから、お母さんが午前と午後に子供を預かってくれる時間があるので、その間に洗濯やらそうじやらをすませます。

家に着いて、床がシロアリにやられていたのと、家の汚さに泣きましたが、寝室だけはきれいにしてくれていたので寝れました。
ヤンゴンに帰ってくると汚くて毎回ショックを受けるのですが、翌日にはすぐ慣れてしまいます。しかし、今回ばかりは乳児がいるので、翌日にががーとざっとそうじしました。
フローリングは貼りなおさないといけないですが・・・。
子供が動き回れるようになる前に、本格的に家を整理せねば・・・です。


育児に関しての文化差について・・・

髪の毛をそることに関してですが、抵抗がなくなりました。
なぜかというと、こちらが暑くてすごく汗をかくからです。日本は寒かったので、そることに抵抗がありましたが・・・。
こちらでは、髪の毛をそることで髪が強くなると信じられています。そって、キンマの汁を塗るのだとか。
ヒンズーの流れで生まれてきたときの髪は、穢れているという考えもあるそうです。
シラミ防止の意味もあります。そして、生まれた曜日と月曜日・金曜日はそってはいけないそうです。
明日にでも、そろうかなと思っています。

あと、赤ちゃんの乳首陥没してるのが、気になるらしく
預けた後、帰ってきたときに乳首にキンマの葉っぱ貼られていたのには笑いました。
生まれてすぐ、おっぱいをしぼるらしいです。

また、便秘していることを話すと
離乳食に少し塩を足すこと
私が、空心菜の酸っぱいスープを飲むように言われました。


他にも・・・

スイカは消化に悪いから与えるな
甘いものを与えると咳がでる(大人も)
はんこ注射のあとに驚かれたり
授乳するときに、鼻に当たらないようにしろ(鼻が低くなるから)
鼻を高くするために、つまめ
米粉にお湯を混ぜると、簡単におかゆつくれるよ(低月齢向け)
バナナを冷凍するな・・・・
体を洗うお湯が熱い
ベビーパウダーをこれでもかとまぶす

などなどまだ、10日足らずですがいろいろと違いがありました。
こっちで出産してたら、もっと面白いこと聞けたかもしれないですね。

それから、夫が家に定額の高速のフリーWi-Fiをつないでくれたので、データ量を気にせず動画を見れて快適です。
私が日本で想像していたヤンゴンの生活とは違っていました。住めば都ですね。

いまのところ、こちらのお母さんとお父さんとの関係は良好で、めいちゃんを可愛がってもらっているので感謝感謝です。
  

Posted by たひち at 13:02Comments(0)子育て

2018年11月10日

ヤンゴンで子育てに向けて・・・

さて、ヤンゴンに帰るまで一カ月をきりました。

里帰り出産で、予防接種を理由に半年も長居しまして。

実家サイコー!ごはんでてくる!洗濯してくれる!
日本のお菓子やパンはおいしいし、おふろもきもちい~!
医療費もただで、子供広場では月300円で遊べる。

何よりも、気兼ねなく子供の面倒を見てくれる両親がいてくれることが最高でした。


私はよくミャンマー慣れてるだとか、肝っ玉だとか言われますけど
本当は、小心者で、心配性なタチです。本当は海外生活に向かない安全志向な性格なんです。

しかし、夫が結婚前にヤンゴンに来てみて、だめだったら日本に帰ってもいいよと言ったので
よし、失敗してもいいかという気持ちで行きました。

本当は、別居するつもりなんかなかったみたいで、後でだまされた!と思いましたけど
今回も、子供連れて、チャレンジするつもりでヤンゴンへ行きます。
別居しても離婚しないなら、ハードルも低いし。
ずっと一緒にいない分、お互い一緒にいる時間を大切にできる・・・みたいなw


家で子供とふたりきりは、煮詰まるとよく聞くので、
ヤンゴンでの子育ては、私が向こうの家族に心を開いていかに交流できるか、で変わってくると思います。
ハイハイが始まったら、目が離せなくなるだろうし一人では大変だろうなと。。。

台所の下でノラネコが子供産むような家に連れて行きたくないけど・・・
虫歯菌とか気にせず、ちゅーされそうで怖いし・・・
清涼飲料とかスナックとか食べさせられたら・・・とか
子育て方針で、私は言いたいことを言えるのか・・・私の意見は尊重されるのか・・・
行く前からナーバスになっているけど・・・


先輩ママさんから、「細かいことは気にしない。たいていのことはなんとかなる」との言葉をいただいたので、その通りにします。

これまで、向こうの家族と交流してこなかったツケでもあるわけですけど(嫁入り日記とかタイトルにしといて)
子供が仲をつないでくれると信じて・・・・
だめだったら、帰ってくればいいし!!(爆)

ブログのタイトルに嫁入りとかつけておきながら、こんな状態ですけど
可愛い孫をじじばばに見せないといけないですからね。
夫にも成長する姿見せて、一緒に子育てを楽しめたらいいです。。。


今は、インスタント離乳食や乳児用おかしを買いあさり、
姉や友人からもらった絵本やおもちゃをひとしきり集めて荷詰めしております。
現地調達したほうが、ネタにはなりそうですが、心配性なんで買っていきます。アナで23キロ×4つ持っていけるし。

今回は、ソーシャルビザは大使館の人がすごく優しく丁寧に対応して、すぐに出たのでノーストレスでした。


これを見ているヤンゴンで子育てしているママさんがいたら、
ぜひお声をかけてくださいね!!
がんばろお~(><)


おわり。
  

Posted by たひち at 20:18Comments(0)

2018年07月28日

株始めました

中華そば始めました。

じゃなくて株始めました。

ヤンゴン証券取引所は、2年前から取引が開始されたけど、上場企業が少なくて停滞しておりましたが、
このほど8月1日から外国人も株の売買ができるようになると投資委員会の会長が発言したそうです。
これを機会に動きがあるんではないかと思いまして、だんなさんに動いでもらいました。

とはいっても経済とか株についてはド素人。
大きな額は買わないですが、お小遣い程度になればいいなと思いました。

大和証券が手伝ってる証券会社で口座を開いて、あとはアプリで売買できるそうです。
平日の1日に数回売買する時間が決まっていて、手動でも自動でもできるよう。
何よりも、上場企業が5社しかない!!(笑)迷わなくていいね

でも、8月1日に外国人の売買が開始になるかと夫が証券会社で聞いたところ、反応が鈍かったので
これはまたミャンマーのよく遅れるやつかなとも思いました。

楽しみにしているカンドージーの水族館は今年できる予定だったのに、完成は来年になったし
なにかと遅延するのがミャンマー。


それでも、ティラワ経済特区は発展し続けると信じて・・・
最初に買っておけば4倍になってたらしいのですが先見の明がないとだめですね。

でも、リスクもあるのでとりあえず、少額で始めて楽しんでやれる範囲にしておこうと思います。


  

Posted by たひち at 19:50Comments(2)