2021年02月07日

クーデター

※私が見聞きした限りのことなので、事実と異なることがあるかもしれません。ご留意ください。

2月1日、8時に目が覚める。LINEのニュースで知る。
1階にいる夫と話す。にわかには信じられず、実感もない。

9時頃にお義父さんが銀行にお金をおろしに行きたいというので、夫とともに車で通りにでると、お米屋さん、銀行(ATM前も)行列が。ガソリンも入れとこうと言っていたが、道が混んでいて、ガソリンスタンドに入れず、家に戻る。バスも運行していて、喫茶店も開いていて、人々はいつもの朝を迎えているようにも見えた。

午前中、携帯の電話が使えず、テレビ放送も消えていた。携帯は昼に、テレビは夜にちらほら戻ってきた。

その日は、私と子供のビザの更新にダウンタウンの入管に行く予定だった。(地域の役所に有効期限までに提出しておけば、国の入管での更新手続きの時に期限が切れていてもオーバーステイにはならない。1月27日までだった)

どう事態が動くか分からないので、当然行かないと思っていたが、夫が思い立って11時に一人で向かう。帰りにスーパーによって、必要なものを買って帰ったが、特に混乱もなかった様子。スーパーの混乱は午前中だけだった模様。

昼頃には、フェイスブックのプロフィール写真が赤一色または黒一色に一斉に代わり始める。そのあと、フレームがたくさん出てきて、スーチーさんのフレームにする人も多くでてくる。

夫は、国立大学の講師をしているので、この日明らかに気落ちしていて、機械を直したりせわしなくして、動揺しているように見えた。この時には徹底的に対抗することは決めていたよう。義両親や義弟も静かに怒っていて、みんなもともと高血圧気味なので体調が悪そうだった。怒りは周りよりもまず自分を傷つけると話していた。
(民主化して10年近いけど、よく考えたら両親は人生のほとんどが軍事政権だったんだなと思った。クーデターも3回目。夫は、今抵抗しないとまずいと言っている。前のクーデターも最初は1年と言ってそのあと二十数年にもなったと)

コロナのせいでもともと大学の授業はなく、大学にも週に数回行っていた程度だった。私立の大学は、オンラインクラスに切り替わっていたが、クーデター発生の日は中止。(その後5日に再開したが、6日の昼前にネット回線が遮断された)

空港が閉鎖され、救援便が欠航になる。時期は不明だけど、再開されるという情報があり、気持ちは少し楽になった。

2日 パスポートを取りにまた入管へ。私と子供もついていって、車で待機。役所はまだ動いていた。ダウンタウンは、閉まっているお店は少しあったけど、露店や道を歩く人達も普通にいて、何も変化がなかったみたいに見えた。帰りにスーパーに寄って、1週間分の食料を調達。
後日に、オーバーステイの罰金は1日3ドルから5ドルになること、強制送還になる可能性があるという情報がでた。これは結果論だけど、更新できてよかった。この状況下で、オーバーステイで過ごす精神状態を考えれば、本当に良かった。

夜8時に、家の周りが急に騒がしくなった。夫は何も言わず屋上に向かい、水のタンクをたたいていた。何事かと聞くと、8時に抗議を表明するために一斗缶やなべをたたいて音を出そうと口伝で伝わっていたようだ。昔から悪霊払いに音を出して追い払う習慣があるという。
家は郊外なので周りにあまり明かりはないのだけど、屋上にあがると遠くの方からも音が聞こえてきて感動した(この時は時間も決まっていなかったが、数日後には15分と決まった。この日から毎晩することになる)


3,4,5日、家にこもる。私はめんどくさいので積極的に情報をずっと見てはいなかったけど、夫は1日目の夜は徹夜、2日目もほぼ寝ずにずっと見ていた。私も気持ちが落ち着かず2時くらいまでは起きていた。夫はめんどくさがって全然説明してくれないのでそれは嫌だった。

NLDがクーデター発生後72時間は我慢するように言っていたらしく、大きな動きはなかった。マンダレーで死傷者が出たとニュースで見たが、詳細は分からなかった。

3日あたり、CDMが始まる。マンダレーの医療従事者が離職するなど、公務員のボイコットが始まる。公務員でない人はCDMを応援することを表明。シェアではなく、定型文をコピーペーストして表明していた。(一点集中すると危ないし、みんなで表明するスタイル)
医療従事者が仕事しないと国民が困るから仕事を続けたほうがいいという意見もあったけど、そういう投稿をする人を友達から外すという投稿もあった。

日本にいるミャンマー人のデモも1日の朝からフェイスブックのライブで見えていた。
しかし、そのデモ活動の記事に対して日本人が「自分の国でやれ、迷惑だ」というコメントをミャンマー人の人がフェイスブックにキャプチャして投稿して迷惑をかけないように呼びかけていた。悲しい気持ちになった。

4日あたり、フェイスブック上でも、3本指を立てたセルフィを挙げる人が増え、抗議を表明した。
大学では、学科ごとに集合写真を作成し投稿しているのもあった。医学系の大学やヤダナーポンなど大学が公式の抗議を表明したところもあった。
夫の大学MMUでは、校長と副校長がだんまりを決め込んでいたため、夫は卑怯だと怒っていた。どちらに転んでも大丈夫なように黙っている。保身。校長先生のアカウントにも抗議を表明してくれと頼む生徒のメッセージにあふれていた。
7日の新聞には、パアンの大学の校長がCDMに参加したとして、逮捕された。
身内に軍関係者がいると反対を表明するのが難しいようだった。軍人でもNLDを指示するとフェイスブックに投稿する人もいた。

3日のお昼、フェイスブックが遮断される。VPNを使用するとまだ使えている。他の人も使えているようだった。投稿は減っていた。

そのころには、フェイスブックが遮断されることが分かっていたので、みんなツイッターのアカウントを作成し、QRコードを投稿していた。多くの人がTwitterに移行していて、多くのミャンマーに関する#がトレンド入り。150万件を超えるものもあった。3本指を立てたイラストが多く見られた。そのあとTwitterも遮断される。

6日の11時ころに、レーダンでデモが発生したことを知る。動画がフェイスブックで配信される。見ている人は5.5万人だった。12時前にネット回線が遮断される。

土日は銀行が休みであること、大規模なデモが起こる可能性があるため回線を切ったと思われる。なぜ携帯キャリアが使えているのかと夫に聞くと軍側も使うからだという。電話とショートメッセージは使えている状態だけど、情報は遮断されたと言ってもいい状態。(国際電話かけてみたけど、つながらなかった)テレノールは無料になった。
Bridgefyをダウンロードしていて、探したけど郊外のせいかまわりでやってる人見つからず。

夕方5時半にラジオを買いにピンロン通りに出ると車で混んでいて、沿道には腕をまっすぐ上に上げて、3本指をたてている人たちがいた。車もクラクションを鳴らし、窓を開けて3歩指を立てている人もいた。
夫が買い物客に聞くと、ズームで国会が開かれたから、国民が承認したことを午後5時に表明するためのデモだという。隣の家族もクラクションを聞いて、外に出ていた。
なんでも憲法では、選挙から3カ月以内に国会を開かないとその選挙が無効になるという。
軍としては8日までになんとしても阻止したいのだろう。ネット回線は7日夜まで切れると発表されているけど、8日に復活するのかわからない。

夕方に夫の旧友からレーダンでデモが行われるとの情報。私と子供を置いてデモに参加するという。完全に家にこもると思っていた私は面食らった。

落ち着かない気持ちで寝れずにいると、10時15分ころに電話で、スーチーさんが開放されたという知らせが入る。外に出ると家々から人が出てきて拍手したり、叫んで喜んでいる。(タマインに住んでいる親戚もそのような状況だったという)ミャワディ(軍の放送局)やBBCで流れたというけど、生で見た人はいない。クラクションを鳴らしたり、花火の音も聞こえた。うちの人達は猜疑的だった。ネット回線も戻っていない。

お義父さんがネピドーの知人に電話すると何も特別なことは起こってないという。
10時40分ころにメッセージが入り、7Daysが9時半にNLDに取材し、デマだと分かったという。ネットがないと情報の伝播がこんなに遅くて、デマが発生するのかと体感。

そのあと、国会が開かれて、ウィンミンが大統領、海外にいる人が副大臣になって、外国の軍が介入してミンアウンラインが捕まったという情報が入った。
さらに、次はナンバー2がミンアウンラインを拘束したという情報も…

ここまでくると、翌日の大規模なデモをかく乱させるためのデマとしか思えない。

7日、ゴミ収集車とお弁当さんやさんはいつも通り来た。
夫が薬を買ってきてくれた。(本当はその日に受診する予定だったけど、行けないので薬だけ飲み続けることにした)

インセインの大学の先生の従妹は、8日月曜日に学校に呼び出され、来ない人はCDMに参加している人のリストに入れるとおどされているという。

カンドージーや人民公園でデモすると情報もあるけど、住宅地で大使館もあるレーダンが良いとしてレーダンに行くという。人民公園は広いけど、封鎖されると終わりだと。

タオルをぬらして覆うとか催涙ガスの対応について話していた。 
マスクも大量に持って行って、マスクをするのも忘れている人に配るという。
義弟は、プリぺイドカード買ってから行った。変な人が来たら防衛するためにボールペンももっていった。

午前9時半ダウンタウンに向かっている従妹(軍医)がもう騒がしくなっていると電話くる。
ベリー橋にあるアウンサン将軍の銅像のところにも人が集まっているという。

結局、義弟とその部下、夫で行くことになった。お義母さんは前の家の人と行くようだ。お義父さんは、もともと危ないことはしない性格なので、本当はデモにも参加してほしくなかったよう。

午前10半に出て、午後2時半に戻る。
7日は警察はいなかった様子。車が通れるように管理していたという。
レーダンに住んでいる人によると人出は6日の5~10倍。
2007年のデモの教訓を活かして、記者はまぎれて携帯で撮影しているのではと。

昼の2時にも音をだそうとお義母さんにメッセージが来る。

とりあえず、途中までだけど、ネットの回線があるうちにアップします。


#ミャンマー #クーデター #Civil disobedience #CDM  

Posted by たひち at 18:27Comments(0)ミャンマーの怖い話

2019年02月27日

訃報

訃報が多い

先々週の金曜日に大学時代に同じスクールトラック乗っていた22歳の女の子が亡くなった。髪が長くてかわいい女の子だった。デング熱だったそうだ。病院の処置が良くなかったと聞いた。
調べると日本では罹患した1500例のうち死亡例はない。こういう話を聞くたびにミャンマーの医療は怖いなと思ってしまう。

ミャンマーに来てからの数年でかなり訃報を聞いている。

友人のいとこ26歳、結核の薬処方し間違えでなくなる。
夫の同僚のこども1歳で亡くなる。原因不明。
夫の同僚のこども死産。9カ月だった。原因不明。
夫の同僚の母親、脳出血の一週間後に死去。
夫の親戚、大腸がんの手術中に亡くなる(60歳くらい)。
義母の世話になってる坊さん56歳で糖尿病で亡くなる。足のケガを放置。
同じクラスの韓国人留学生自殺(20代)

日本側でも
20代の外国語大学生、乳がん。ヤンゴンに始めてきた年に仲良くしてもらった女の子。

死なない人はいないけど、ミャンマーに来てから若くで亡くなる人が多くて、人生って儚いなという気持ちになる。
あと、日本みたいないらない延命処置はしないですぐ死ねるけど(笑)適切な処置を受けたらもっと生きれた人もいたんじゃないかなと思う。
医療ミスで病院を訴えることもしないし、恨みもしないみたいだ。
もちろん、信頼のおけるお医者さんもたくさんいるので、そういうところ見つけないとなと思いました。


お葬式は、焼き場に隣接したところで行われます。
遺体は花に包まれて透明の棺桶に入れられる。訪問者は、1時間前に焼き場に来て亡くなった人を拝みます。お坊さんや尼さんがお経を読んでから、火葬される場所に運ばれていくのについていって、扉が閉められたらそこでさよならします。
お坊さんは骨を拾うこともあるけど、普通の人は拾わないそう。田舎は土葬するところもあるそうです。
私は3回ほど、お葬式に参加しました。
こないだのえらいお坊さんは、僧院で祭りみたいにやってました。
おわり。


  

Posted by たひち at 13:35Comments(0)ミャンマーの怖い話

2017年03月15日

ミャンマーの怪しいうわさ

ミャンマーには、怪しい迷信やうわさがたくさんあります。
その中でもよく言われている話や面白い話を紹介したいと思います。
本当は、フリーペーパーのミャンミャンに掲載したかったのですが、そんなの興味ねえと却下されてしまったので、自分のブログで紹介したいと思います。


ほれ薬の伝統的な作り方


 まず、事故などで突然死んだ処女を土葬したところに、タナカととぎ石を持っていきます。都会は、火葬なのでまず難しいっていう。この時点で難易度が高いw
墓地を掘ります。女性を起こしてタナカを持ってすらせます。「ぬってぬって」と誘導し、女性がタナカをほほにぬったところで、それをそぎとって逃げます!!→女性が追ってくるので、逃げ切ったら勝ち!つかまったらどうなるかは、ご想像にお任せします・・・
 巷に売っているのは、なんらかのドラッグだと思われます。ほれ薬は、ミャンマー語でピーヤーゼーと呼ばれます。

家の前でカラスが鳴くと・・・?

 
 一般的にカラスが鳴くと縁起が悪いですが、こちらでは縁起がいいです。ミャンマーのカラスは小さくて鳴き声も高いです。
家の前でカラスが鳴くとお客さんが来る予兆と思われています。

お葬式をした家の前に生肉を持って歩くと・・・

 お葬式をした家の前を生肉や生魚を持って歩いてはいけません。おばけをつれて帰ってしまいます。かくいうだんなさんも、子供の時、やきそばをもってお葬式があった家の前を通って帰った時に家についておかしくなってしまったことがあるそうです。やきそばを裏手に捨てるともとにもどったそうです。

9人で旅行に行くと・・・
 
 旅行に行く時に、9人で行くと縁起が悪いので、石など何でもいいのですが、車に持ち込んで、「石さん、ついておいで」というそうです。
1ヶ月前の土曜日に高速道路で事故があって、車に乗っていた9人のうち8人が亡くなってしまった事故を受けて先生が話してくれました。火災事故でニュースに大きく取り上げられました。

めまいがしたときにシャワーを浴びると・・・
 
 ふらふらしているときに、シャワーを浴びるとずっと治らないそうです。実際、ミャンマーには、帰ってきてからすぐや運動後すぐシャワーを浴びない習慣があります。今は、給湯器がありますが、ない家は基本真水なので、実際急な温度変化が体に悪いんだと思います。

死期が近づいた人に取り付く食いしん坊のおばけ

 死期が近い人に幽霊が乗りうつることがままあるそうです。人が変わったように、むしゃむしゃと食べ始めるそうです。そうなったら、寝ている時に、高下駄を背中にはさみこむと、痛くてたまらなくなって出て行くそうです。ミャンマーの幽霊は基本的にお腹がすいてるのかな?

女の子は一ヶ月早く生まれる
 
 日本だと子供は男女問わず十月十日ですが、ミャンマーでは女の子は1ヶ月早く生まれると信じられています。なぜか分かりません!!

高速道路の幽霊

 
 高速道路での死亡事故は多く、幽霊の目撃情報多数です。よく体験談を聞きます。
ネピドーまで260マイル(時速90キロで5時間くらい)ありますが、途中の115マイルにサービスエリアがある以外、まともな休憩所がありません。犬や牛も侵入し放題ですので、危ないです。また、生卵をフロントガラスに投げつけて車が止まったところを強盗することもあるそうです。ですから、夜間に車を止めることができません。死亡事故が多いため、そういううわさが出ても仕方ないですね。

前世一緒にイエゼッチャしたから、現世でまた会えたね
 
 家で、お坊さんを呼んだときに説法したあとによくする行事なんですが、イエゼッチャーデーといいます。直訳すると「水滴を落とす」ですが、銀色のきゅうすから銀色の器にゆっくり注ぎ、その間にお坊さんが読経します。その水は聖なる力を持ちます。その後、その水を家の周りにまきます。その行為は大変徳の高い行為です。大体1人か2人でそのきゅうすを持ちます。
現世で出会えたのは、前世一緒に功徳を積んだからだね、と良く言われます。
私は、前世ミャンマー人でミャンマーでだんなさんとイエゼチャしたんでしょうかねw?


子供が幸運を運ぶ

子供の前世の行いが良ければ、金持ちになったりいいことがあると信じられています。
だから、貧乏でも子供生めば、運がまいこむと信じています。


カップルで行くと分かれる伝説のお寺


 タケタにあるお寺で、カップルで行くと分かれると言われています。ワニの伝説があり、恋人が死に別れているためです。長い話で何回聞いても忘れます。
確か、ワニが口の中に入れて運んでいるうちに死んでしまったとか・・・。

森の中で名前を呼んではいけない

 ミャンマーには、タリーガンという声まねの上手な鳥がいます。それは、さておき、森の中で同行者の名前を呼ぶと、森のナニモノかが、声を真似て誘い込むそうです。
ですから、森の中では、決して名前を呼んではいけません。
ま、森なんか行かないかw

悪夢を見たら起こせ!
 
 ミャンマーでは、寝言を言っている人を見たら起こす習慣があります。
結婚する前に、家族と旅行に行ったとき義母に夜中に起こされ、なんのことやら分からず困惑しました。
だんなさんも、「昨晩寝言言ってたよ」というと「なんで起こしてくれなかったの!!」と怒ります。
 そして、悪夢を見た人は、仏(ボウッダ)法(ダンマ)僧(タンガー)×3回拝みます。そうすると気持ちが落ち着きます。
 


以上です。
呼んでくれた皆さん、ありがとうございます!!  

Posted by たひち at 00:03Comments(4)ミャンマーの怖い話